2018年06月28日
地球環境
研究員
野﨑 佳宏
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本県)がまもなく国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産リストに加わる見通しだ。地元では、決定の瞬間を祝うためパブリックビューイングを用意するほどの盛り上がりだという。
一方、同時登録を目指していた「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」(鹿児島、沖縄県)については、政府が推薦をいったん取り下げることになった。審査機関の「お墨付き」が得られなかったためで、対象地域を見直すなど内容を精査するという。実は、こうした仕切り直しは珍しくない。その代表例が富士山だ。
富士山が世界遺産登録された5年前、特別な感慨を抱いた人も多かったのではないだろうか。ランドマークとして圧倒的な存在感があり、海外での知名度も抜群。日本人の多くが当然だと納得したはずだ。しかし登録は遅く、なんと国内17番目。しかも「文化遺産」としての登録で、「自然遺産」ではない。いったい、なぜか。
実は、自然遺産の申請要件すら満たせなかった経緯がある。富士山には夏の2カ月間に20万~30万人の登山客が押し寄せ、周辺には旅行施設も多い。結果、ゴミ問題やトイレ問題が発生し、「自然本来の姿を保っている」「あまり多くの人間活動がなされていない」といった条件を満たせなかったのだ。結局、「信仰の対象と芸術の源泉」という文化的側面を強調することで登録にこぎつけた。
富士山の世界遺産登録までの経緯は、環境問題と人間の営みをめぐるジレンマを象徴している。極端な話、入山禁止にしてしまえば問題の多くは解決するだろう。一方で、われわれは環境保全だけを考えて生きていくわけにはいかない。ユネスコに評価された富士山に関する信仰や芸術も、人々が近くで生活していたからこそ生まれたものだ。
「人間はどうすれば自然と共生できるのか」。そんな疑問も抱えながら、この6月、富士山中腹の宝永山(2693m)を目指した。火口にたどり着くと、月面クレーターのような荒涼たる景色が広がっている。眼下に雲を従えた高度感は圧倒的だ。
富士山宝永火口
(写真)筆者
「月面着陸の訓練は、ここでやったら雰囲気がでるだろうな」。そう思ったとき、アポロ15号で月に着陸した宇宙飛行士の話が頭をよぎった。彼は月から地球の姿を見て、今にも壊れそうで、頼りなく感じたと語っている。
一見、荒々しく力強い富士山だが、山肌にひっそりと息づく植物たちに目を移せば、自然の微妙なバランスの上に成り立つはかない存在だと気づく。何時間もかけて歩いた先に、こうした美しい山岳風景に出会ったとき、われわれは人知を超えた何かを感じて謙虚な気持ちになる。北アルプスの峰々に咲き乱れる花を眺めたり、森の中に遊ぶ小動物を見かけたりしたときも同じだ。山で感じるこの「謙虚さ」こそ、自然と人間が共生していく鍵ではないか。
新聞「日本」の創刊者としても知られる陸羯南(くが・かつなん)は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも登場する明治のジャーナリストだ。彼はこんな詩を残している。「名山出名士(めいざんめいしをいだす)此語久相伝(このごひさしくあいつとう)......」。ざっくり言えば「イイ山はイイ人をつくる」ということだろう。
人は自然に触れることで環境に負荷をかけてしまう。一方で、人は自然に触れることで謙虚さを知り、環境にも配慮するようになる。その意味で、富士山や北アルプスなどの名山がもたらす影響は計り知れない。偉大な山は、やはり「人をつくる」のである。
野﨑 佳宏